【平假名诞生秘话】万叶假名的历史和“いろは”到“あいうえお”的转变
Hiragana, one of the writing systems that make up the Japanese language, is an indispensable part of our daily lives. However, few people are aware of its origins and the process of its development.
Here, we will explore in detail the historical background leading to the birth of hiragana and why it changed from “iroha” to “aiueo.”
“平假名”作为构成日语的文字体系之一,是我们日常生活中不可或缺的存在。然而,了解其起源和发展过程的人却不多。在这里,我们将详细探讨平假名诞生的历史背景以及为什么从“いろは”变为“あいうえお”。
日本語を構成する文字体系の一つである「ひらがな」は、私たちの日常生活に欠かせない存在です。しかし、その起源や発展の過程についてご存知の方は少ないでしょう。
ここでは、ひらがなの誕生に至る歴史的背景と「いろは」から「あいうえお」へなぜ変わったのかについて詳しく探ります。
漢字の導入と表現への欲求
日本という国は、争いや交易を通して幾度となく他国の文化や宗教・価値観さえも受け入れ、そして生活の中にうまく融合させてきた国です。
「神道」という古来の宗教がありながら「仏教」を大いに受け入れ、「クリスマス」や「ハロウィン」を祝うのは、日本人の寛容な柔軟性からでしょう。
特に6世紀から7世紀にかけての中国や朝鮮半島との文化的交流は、儒教・仏教・道教といった思想や宗教の伝来と共に漢字を普及させ、日本国内に識字層を広げました。
しかし、漢字は元来中国語を表記するための文字であるため、日本人の感性や文法を完全に表現するには不十分でした。
助詞と助動詞が文章のすべてを決定づけるといっても過言ではない、日本語特有の語彙を漢字だけで表記しようとすると、どうしても無理が生じてしまうのです。
この「漢字だけでは足りない」という課題が、新たな文字体系の創造へとつながっていきました。
仮名の誕生

日本の言葉は、漢字との出会いによって少しずつ文字化されていきます。4世紀以前には、大陸からの伝来品に記された漢字を模倣することも少なくなかったようです。
5世紀初頭、百済の王仁(わに)が「論語」と「千字文」を日本にもたらして漢字がたと伝えられており、7世紀初頭、聖徳太子は数度にわたり遣隋使を派遣し、中国の文物を日本にもたらした。 その後日本は、遣唐使を幾度にわたり派遣し、漢字を通じて中国の文化を吸収した。 さらに「大化の改新」を進める中で唐の律令制度を取り入れるなどして、知識層の中で漢字の使用が広まった。
5世紀以降は、「論語」と「千字文(せんじもん)」をもたらしたとされる王仁(わに)や遣隋使、遣唐使などが日本人に漢文の音読や書き方を教えたり、文書作成に携わったりしたと考えられます。
そのプロセスにおいて、日本特有の名詞については、その音に近い漢字を当て字として記すようになったようです。たとえば鉄剣や鉄刀に書かれた文章の中に、雄略天皇の実名といわれる「ワカタケル」が「獲加多支鹵」と当て字されたものが発見されています。
万葉仮名からカタカナとひらがなへの経緯
万葉仮名は7世紀末にはすでに使用されていたと考えられています。なぜなら、681~712年にかけて編纂された『古事記』において使用され、その後の『日本書紀』『万葉集』でも頻繁に使われているからです。
「万葉仮名」という名称は『万葉集』で多用されていたからに他なりません。しかし、万葉仮名は人によって使用する漢字が異なり、1つの音に複数の漢字が対応するという問題点がありました。また、画数の多い漢字を長文で使用することへの抵抗もあり、カタカナとひらがなが誕生します。
カタカナの誕生
奈良時代末から平安初期にかけて、万葉仮名は、漢文を訓読する画数の少ない漢字や漢字の一部を符号化して用いるようになります。これがカタカナの始まりです。カタカナは片仮名と書き、不完全な文字を意味します。
ひらがなの誕生
一方では、漢字を草書体や行書体で簡略化して用いるようになりひらがなが誕生します。
9世紀頃から、ひらがなとカタカナは著しく普及、特に都が奈良から京都へ移った平安時代(794年〜1185年)には万葉仮名の体系化が進み、ひらがなが日本独自の文字として確立されました。「平仮名」という名称は16世紀以降に登場し、片仮名との区別として「普通の仮名」を意味する言葉として使われるようになりました。
ひらがなの元となった漢字とローマ字表記

以下は、ひらがなの元となった漢字とローマ字表記の50音順対応表です。
阿⇒あ(a) | 以⇒い(i) | 宇⇒う(u) | 衣⇒え(e) | 於⇒お(o) |
加⇒か(ka) | 幾⇒き(ki) | 久⇒く(ku) | 計⇒け(ke) | 己⇒こ(ko) |
左⇒さ(sa) | 之⇒し(si) | 寸⇒す(su) | 世⇒せ(se) | 曽⇒そ(so) |
太⇒た(ta) | 知⇒ち(ti) | 川⇒つ(tu) | 天⇒て(te) | 止⇒と(to) |
奈⇒な(na) | 仁⇒に(ni) | 奴⇒ぬ(nu) | 祢⇒ね(ne) | 乃⇒の(no) |
波⇒は(ha) | 比⇒ひ(hi) | 不⇒ふ(hu) | 部⇒へ(he) | 保⇒ほ(ho) |
末⇒ま(ma) | 美⇒み(mi) | 武⇒む(mu) | 女⇒め(me) | 毛⇒も(mo) |
也⇒や(ya) | 以⇒い(yi) | 由⇒ゆ(yu) | 江⇒ (ye) | 与⇒よ(yo) |
良⇒ら(ra) | 利⇒り(ri) | 留⇒る(ru) | 礼⇒れ(re) | 呂⇒ろ(ro) |
和⇒わ(wa) | 為⇒ゐ(wi) | 汗⇒(wu) | 恵⇒ゑ(we) | 遠⇒を(wo) |
无⇒ん(nn) |
※①上記のうち、ヤ行の「い」と「え」、ワ行の「ゐ」と「」「ゑ」は現代仮名遣い(1946年以降)では使われていません。
※②「ん」については、万葉仮名の「む」であり、无の二を取った形。丹波・難波の地名はかつて「たにわ」「なにわ」と読み「ん」が「に」になっていました。
ひらがなの普及と女流文学の発展
ひらがなは文字を素早く書けるため、日常的に使われました。9世紀後半には歌文などでひらがなが用いられるようになり『古今和歌集』(905年)では、序文に漢文(真名序)と仮名(仮名序)の両方が見られます。また、『土佐日記』(935年頃)には、現代のひらがなとほぼ同じ字体が確認されています。
当時、ひらがなは「女手(おんなで)」とも呼ばれ、主に私的な場面や女性による文章表記に用いられていました。男性である紀貫之は『土佐日記』をひらがなで記すために女性を装ったといわれています。
ひらがなの普及により女流文学が大きく発展し、清少納言による『枕草子』(1001年頃)や紫式部による『源氏物語』(1008年頃)などの歴史的名作が誕生します。
ひらがな空海説?フェイク?
ひらがなの創始者は弘法大師空海(774年生〜835年没)ではないか?という説があります。その根拠は「いろは歌」を創ったのが空海であるという説が流布していたからです。しかし「いろは歌」が成立したのは10世紀半ば〜11世紀といわれているため、こちらもフェイクの可能性が高いでしょう。「いろは歌」に関しては、柿本野人麻呂説や源高明説がありますが、どれも信ぴょう性が薄く不明とされています。
そもそもなぜ空海説が浮上したかというと、「いろは歌」がひらがなの47文字を重複することなく上手に配置して仏教の無常観を表現していたからです。これほど見事に仏教を表現した歌を創れるのは高名な弘法大師以外に考えられない、と多くの人が思ったか誰かが言い出したらしいのです。
もっぱら俗説ということで片づけられていますが真偽のほどはどうでしょう……?
「いろは」から「あいうえお」への転換

ひらがなが「いろはにほへと」順から「あいうえお」順に変更されたのは、明治時代中期です。
明治初年には「いろは」順でひらがなを教えていた小学校の国語教科書でしたが、1886年(明治19年)に刊行された「読書(よみかき)入門」の導入を機に、思想色の強い「いろは」から論理的で秩序だった「あいうえお」に変わります。この年は「教科書検定制度」が採用された年であり、「読書(よみかき)入門」は規制強化のモデル教科書の役割を担っていました。
ただし、西洋思想を積極的に取り入れていた学問の神様こと福沢諭吉(1835年~1901年)いわく、「あいうえお」はあくまでも秩序だった「サイエンス」であり、「いろはを知らなければ下足番もできない」と語っています。
ひらがなが「いろは」から「あいうえお」に変わった理由
「いろは」から「あいうえお」への転換は「読書(よみかき)入門」がきっかけであり、学校教育で重要な役割を果たしたことは上述の通りです。この「読書入門」はかなり考え込まれた教材であり、日本語教育を直線的な片仮名から曲線のひらがなへと、わかりやすくそして習得しやすいように配列されています。
「いろは」から「あいうえお」への転換は、明治政府が国民の資質向上のために初等教育がいかに重要かを理解し、厚く政策の力を置いていたことを知らしめる事象です。
「あいうえお」順の規則性の選択
「あいうえお」は母音と子音の配列に一定の規則性があり、図示しやすいメリットがあります。一方で「いろは」は、47文字を一度ずつ使った意味のある文章ですが、母音と子音の対応が不規則です。ローマ字表記にすると規則性の有無が一目瞭然です。以下表をご参照ください。
あいうえお(ローマ字表記)
いろはにほへと(ローマ字表記)
a | i | u | e | o |
ka | ki | ku | ke | ko |
sa | si | su | se | so |
ta | ti | tu | te | to |
na | ni | nu | ne | no |
ha | hi | hu | he | ho |
ma | mi | mu | me | mo |
ya | yi | yu | ye | yo |
ra | ri | ru | re | ro |
wa | wi | wu | we | wo |
nn |
i | ro | ha | ni | ho |
he | to | ti | ri | nu |
ru | wo | wa | ka | yo |
ta | re | so | tu | ne |
na | ra | mu | u | wi |
no | o | ku | ya | ma |
ke | hu | ko | e | te |
a | sa | ki | yu | me |
mi | si | we | hi | mo |
se | su |
「いろはにほへと」の意味は深いものがありますが、一方で配列の規則性のなさは教育現場において根拠を示しにくい傾向があります。そのため母音と子音が整然と並んでいる「科学的」な「あいうえお」が選ばれたのではないかと考えられます。
「いろは歌」の仏教色への懸念
「いろは歌」は仏教の無常観を表していたため、明治政府の目指す方向性にそぐわなかったのではないかという見方もあります。すでに「神仏分離令」を発令していた明治政府には、仏教色の強い「いろは歌」を回避しようとする動きがありました。これにより、教育現場は新たな言語教育の方向性を見出したといえます。
ひらがなは初等教育の基礎でありタイピングもひらがな入力

現代の小学校に入学した子どもたちはまずひらがなを学び、その後カタカナや漢字を学ぶという順序で文字教育が進められます。ひらがなは音節文字であり、一文字が一音節を表すため、発音と書き方を覚えやすいのが特徴です。
また、スマホやパソコンの文字入力においてもひらがなでなければ変換できません。ローマ字入力であろうが「ひらがな」として打ち込んでから、求める意味の漢字変換をします。他国からいらした方が、日本で日本人として生活するのであれば、まずはひらがなを覚えなければなりません。
たおやかなフォルムと美しい調べの「ひらがな」こそ日本の心
ひらがなの誕生は、日本語をより自由に表現するための工夫から生まれたものでした。その背景には、漢字だけでは日本語を、日本人の感性を十分に表現できないもどかしさや、それを解決しようとする人々の創意工夫があります。
ひらがなの普及は、短歌や俳句・川柳など、日本独自の文学や文化を発展させる原動力となりました。佳い作品が永遠に詠み継がれるのは当然のことでしょう。
言葉は争いを避け、コミュニケーションによる解決を目指すために発展してきたはずです。そして、文字になることで時間と空間を超えます。まやかしで塗り固められようとしている現代においてこそ、ひらがなの柔らかさ・奥ゆかしさやファジーさが効果的です。
ひらがなの存在は、世界のあらゆるシーンにおいて、絶妙の緩衝材となるでしょう。