シェル・シルヴァスタイン著
村上春樹訳2010年9月10日初版発行あすなろ書房
子供の頃の夢は駅の改札員か本屋さんでした。
列車に乗ると、ひとつの駅を過ぎるたびに見知らぬ風景が広がり、少しずつ違うイントネーションの言葉が行き交いワクワクしたものです。
親切で凛々しい駅の改札員に道を尋ね、切符に入れられた鋏の形の違いに驚愕したことなど、もう遠い昔のことになります。
紙本の頁を捲るのは、鈍行列車の旅に似てワクワクが止まりません。
紙の触感を確かめながら次の頁をつまみ上げ、読み進めるごとに持ち上げていきます。
そして捲られる頁の放つ空気と外気との融合でまた新しい世界が始まるのです。
これは紙本でしか味わえない醍醐味。
本屋さんは幸せですね。
宝石のような言葉の詰まった本たちに囲まれて。
いつ何があるかわからないご時世です。
断捨離が叫ばれ、むやみに物を持たない方が好ましいのかも知れません。
けれども、だからこそ持つ物を厳選したいと思います。
指針となる言葉と出逢うことがあります。
一冊の本を携えて旅立つことができれば幸いです。
おおきな木
世界30か国以上で翻訳されているロングセラーの絵本。
一本のリンゴの木と少年の成長の物語です。
葉っぱで王冠を作ったり木の枝にぶら下がって遊んだりしていた少年がだんだん成長していきます。
やがて少年は旅立ち、老いてふたたび木の元を訪ねます。
けれどそこに大きな木はなく、切り株だけが残されていました。
木は「僕はもう何も君に与えることはできない」と言い、
年老いた少年は「何も欲しくない。ただ静かな場所でゆっくり腰を下ろしたい」と言います。
そして、切り株に腰かけてゆっくり休みます。
シンプルな短い言葉でつづられ、予想通りに展開していくのですが、それが読み進めるゆとりをもたらすのでしょうか。安心しつつ深く深く自分の来し方を掘り下げてしまうのです。
木と少年
木と少年の関係を親子のようにとらえる方もいれば兄弟姉妹、あるいは恋人など、置かれた環境によってさまざまでしょう。
私は数年前に亡くなった母を思い出しました。
自ら欲しがることは一切なく、当たり前のように子供らに捧げ尽くした母の人生。
人生の幸の多少は本人にしかわからないものですが、戦中戦後を耐え忍んで生きた一人の女性であったことは確かです。
母となる前の若かりし頃、2年ほど都会で働いた以外は故郷で過ごし、母となってからは車酔いすることから日帰りのレジャーにすら出かけなかった母。その人生の時間のすべては間違いなく子供らのために割かれていました。
そんな母を、却ってうっとおしく思ったことも数えきれません。
してもらうことを当たり前のように成長させてもらい、いつの間にか50代後半。
時々腰かけたくなっています。
けれどもう母は居ません。
故郷なんてとっくに捨てたと言いながらも、振り返るといつも母が手を引いてくれていた光景があります。
そんな私もいつか死に、土に還ることでしょう。
そこから一本の木が芽生え、いつか誰かの腰かける切り株になれればいいと思っています。
シェル‣シルヴァスタイン
シェル・シルヴァスタインの略歴
(1932年9月25日~1999年5月10日)イラストレーター・絵本作家。作詞作曲家、ミュージシャンとして1969年、1984年にグラミー賞の受賞歴もある
才能のある方は、何をやっても佳い作品を産み出すのだなと思います。
きっと、天からの信号をキャッチしているのでしょう。
シェル・シルヴァスタインの他の本
シェル・シルヴァスタインの他の本を紹介します。
表紙絵とタイトルだけで興味深々!
ぜひ、押下してみてください。
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