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【竹内文書③】ウガヤフキアエズ朝七十三代の詳解:超古代日本の世界統治と文明の変遷

世界のはじまり
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日本最古の歴史書とされる『古事記』や『日本書紀』(以下「記紀」)において、ウガヤフキアエズ(日子波限建鵜葺草葺不合命)は、神武天皇の父として一柱のみが記される存在です。しかし、竹内文書(竹内文献)という特異な古史古伝の枠組みにおいては、この名称は一個人を指すものではなく、七十三代(資料によっては七十二代)にわたって数百万年もの間、全世界を統治し続けた壮大な王朝の総称として定義されています。

竹内文書における「不合朝(あえずちょう)」、あるいは「ウガヤフキアエズ王朝」は、天神七代、上古二十五代という神霊的な時代を経て、人類が現在の物理的な身体と社会組織を確立していく過程の中核を成す時代です。

最大の特徴は、日本(特に現在の富山県付近、越中)が単なる島国ではなく、全世界の「親国(おやぐに)」として、全人類の始原である「五色人(ごしきじん)」を統治していたというグローバルな世界観にあります 。天皇(スメラミコト)は「天の浮船(あめのうきふね)」と呼ばれる超高度な飛行手段を用いて万国を巡行し、モーセやイエス・キリスト、釈迦、孔子といった後に世界宗教の開祖となる聖者たちが日本を訪れ、天皇に仕えて教えを乞うたという記述は、既存のアカデミズムにおける歴史認識を根底から揺さぶるものです 。


不合朝の構造:世代、継承、そして女帝の存在

不合朝の全容を理解するためには、その独特な世代カウントと継承の仕組みを把握する必要があります。竹内文書によれば、不合朝は七十二代または七十三代続いたとされますが、兄弟相続や女帝の登位が含まれるため、実質的な世代数(血統のステップ数)で見ると六十二世代に整理されるという指摘があります 。これは、現皇室が伝統とする「万世一系の男系継承」とは異なり、古代においては女系継承や女帝の存在が十何に認められていた可能性もあるからでしょう 。

王朝の区分と統治の変遷

不合朝は、その長大な歴史の中で、文明の絶頂期から「万国の変(ばんこくのへん)」と呼ばれる大規模な天変地異による衰退期までを包括しています 。初期の時代は「上皇朝」の神聖なエネルギーを色濃く残しており、天皇は万国の棟梁として五色人を完全に統率していました。しかし、中期から後期にかけて、地殻変動や環境の変化により、世界各地の大陸が沈没または分裂し、日本(親国)と各地域(枝国)との物理的な距離が広がるとともに、統治体制は徐々に変容を迫られることになります 。

王朝区分代数(目安)統治の特徴
初期(黎明期)第1代〜第20代世界秩序の確立、五色人の定住支援、天の浮船による巡行の定例化。
中期(黄金期)第21代〜第50代建築、医療、文字(神代文字)の普及。世界各地からの聖者来日。
後期(変革期)第51代〜第70代天変地異(万国の変)の頻発。世界各地の独立と親国との断絶の始まり。
末期(移行期)第71代〜第73代現代日本(神倭朝)への接続。神武天皇による新たな国造りの準備。

不合朝七十三代:歴代天皇名と各代の主要トピック

不合朝の歴代天皇は、その名前に「天日(あめひ)」「身光(みひかり)」「天津日嗣(あまつひつぎ)」といった称号を含み、宇宙的な光や神聖な継承を象徴しています 。以下に、現存する主要なリストに基づき、各代の名前と、そこに秘められた統治のトピックを詳述します。

第一代から第十代:世界帝国の礎

この時期は、地球上の五色人がそれぞれの居住地を定め、天皇がその全ての王を任命し、文明の種をまいた時代です。

代数天皇名(竹内文書)主要トピック・時代考証治世期
第1代武鵜草葺不合身光天津日嗣天皇14回の遷都氷河期の最新世時代支那王来朝2,838,042年
第2代日高日子身光天津日継天皇(軽嶋彦尊)軽嶋(大和の古名)との関連。世界各地の地理を確定させる 。アトランティス文明黄金時代21,831年
第3代真白玉輝彦天日天皇「寿命2000年以下」の神勅アトランティス没落時代地上の巨大生物消滅を討議(五色人会議)22,020年
第4代玉噛彦身光天津日嗣天皇天地、土の海に(B.C.50197年)南ア、ローデシアで鉱山採掘(B.C.47000年)13000年
第5代天地明成赤珠彦身光天津日嗣天皇情報不足。11,170年
第6代石鉾歯並執楯身光天津日嗣天皇神勅から神託へ十六条菊紋の世界分布オーリニャック文化期洞窟出土鷲骨に太陰暦の記号(B.C.35000~30000年)1,630年
第7代櫛豊媛身光天津日嗣天皇初の女帝。597年
第8代光徹笑勢媛身光天津日嗣天皇女帝。466年
第9代千種媛身光天津日嗣天皇女帝。ハンガリー国民に文字を伝える5,121年
第10代千足媛身光天津日嗣天皇女帝。レムリア・ビミニ・ミヨイ・タミアラ沈む南極2島、新島生まれる。595年

この第10代までの期間において、天皇は「天の浮船」を用いて万国を巡行し、五色人の王たちに統治の法を授けました 。日本が全世界の「親国(おやぐに)」であり、各大陸の文明(ムーやアトランティスを連想させる記述を含む)は日本から派遣された皇子たちによって築かれたという洞察は、この時代の記述に端を発しています 。

第十一代から第二十代:智徳の拡大と社会基盤の整備

文明がより複雑化する中で、法律、医療、建築といった専門的な分野が、天皇の導きのもとで発展しました。

代数天皇名(竹内文書)主要トピック・時代考証治世紀
第11代禍斬剱彦身光天津日嗣天皇邪悪なエネルギーや社会の混乱を断つ「禍斬」の武威 。グリーンランドに古代スカンジナビア人が石造村落793年
第12代弥広殿作身光天津日嗣天皇大規模な宮殿や「弥広殿(いやひらどの)」の造営。都市計画の確立 。阿蘇大宮から南米ラハスのイリマニ山大宮に天降る。550年
第13代豊明圀押彦身光天津日嗣天皇国土開発の推進。開拓と灌漑技術の革新。皇子・皇女58名を万国の王として派遣380年
第14代火之進奇猿媛身光天津日嗣天皇女帝。エネルギー制御・火の神聖な利用法。浅間神社を富士山に祀らせ給う 。460年
第15代臼杵身光天津日嗣天皇食文化と祭祀の融合。353年
第16代産門真幸身光天津日嗣天皇出産と育児の保護。人口の適正な増加と幸福の追求 。後期旧石器中葉、ソリュートレ文化(仏)316年
第17代表照明媛身光天津日嗣天皇女帝。社会の透明化。公明正大な裁判制度の確立 。496年
第18代依細里媛身光天津日嗣天皇女帝。天越根国大変動。地震。北極・スバールバル諸島に都跡。480年
第19代少名形男彦身光天津日嗣天皇即位式大典の御儀を改定。後氷期で水位上昇 。350年
第20代天津明少名大汝彦身光天津日嗣天皇支那王が初めて年号を定める。万国大変動により五色人の多くが亡びる450年

第二十一代から第五十代:黄金時代の成熟と異変の予兆

この中期は、不合朝が最も安定した時期であり、世界各地へ皇子皇女を派遣し、文化教育の普及に尽力した時代といえます。

代数天皇名(竹内文書)主要トピック・時代考証治世期
第21代天饒明立身光天津日嗣天皇南米・太平洋のムー大陸・タミアラ大陸に皇子皇女を派遣先史時代(マグダレン文化期)フランスのヴィシーで、16,000年前のクロセルの平板発見433年
第22代天押開神魂彦身光天津日嗣天皇情報不足。330年
第23代天饒国饒狭真都国足身光天津日嗣天皇情報不足。318年
第24代天饒国饒黒浜彦身光天津日嗣天皇情報不足。329年
第25代富秋足中置身光天津日嗣天皇皇子皇女32名を万国派遣。形仮名・アヒル文字を五色人に教示(ヘブライ文字の起源となる)460年
第26代種淅彦身光天津日嗣天皇ヨーロッパへ桃木文字を伝える302年
第27代建玉彦身光天津日嗣天皇皇子21名皇女23名を平民に。348年
第28代天之海童噱楽之雄身光天津日嗣天皇ご成婚式の儀の制定。280年
第29代神豊実媛身光天津日嗣天皇英国グラストンベリーの12大宮石397年
第30代円背之男身光天津日嗣天皇情報不足。476年
第31代橘媛身光天津日嗣天皇女帝。306年
第32代花撰媛身光天津日嗣天皇トルコ・ブルサに天降る。387年
第33代清之宮媛身光天津日嗣天皇女帝。372年
第34代八千尾亀之男身光天津日嗣天皇天皇の御宝をすべて秘蔵。皇祖皇大神宮の神主を世襲とす。アジール文化(ヨーロッパ西部の中石器時代初頭)313年
第35代花媛身光天津日嗣天皇女帝。203年
第36代若照彦身光天津日嗣天皇情報不足。439年
第37代松照彦身光天津日嗣天皇天浮舟26艘新造。387年
第38代天津太祝詞子身光天津日嗣天皇天津太祝詞、大祓祝詞制定。パレスチナの古都ジェリコに戦車の絵206年
第39代神足伊足彦身光天津日嗣天皇冠制定。祖先の祀り方、富貴教育。B.C.10490~10390年にピラミッド造営368年
第40代神楯媛身光天津日嗣天皇岩戸隠れの記事を編纂。氷河気候から現環境へ。278年
第41代神楯広幡八十足彦身光天津日嗣天皇情報不足。355年
第42代鶴舞媛身光天津日嗣天皇皇子64名を万国派遣。アヒル文字・像スケ文字・筆墨紙製法を伝授。~B.C.9500年までにアトランティス大陸沈没356年
第43代豊足大御中身光天津日嗣天皇情報不足。376年
第44代大炊気吹身光天津日嗣天皇神を祀らず、不老茶も飲まず短命。7年
第45代空津争鳥身光天津日嗣天皇皇后を立てず女官180名。181年
第46代鳥言足清男身光天津日嗣天皇アルジェリアで37名の五色人が参朝。天皇が暦を伝える。328年
第47代大庭足媛身光天津日嗣天皇唐の王53名が参朝。303年
第48代豊津神足別身光天津日嗣天皇五色人の王58名が参朝。286年
第49代豊足彦身光天津日嗣天皇イルクーツクのキレンスクに天降り、』五色人王31名拝礼。380年
第50代神足別国押之女天皇女帝。235年

第五十一代から第七十三代:激動の末期と新たな時代の幕開け

後期に入ると、「万国の変」と呼ばれる地殻変動が加速し、かつての万国統治体制は崩壊の危機に瀕します。しかし、この時期にモーセなどの聖者が来日し、封印されるべき叡智を受け継いでいったとされています 。

代数天皇名(竹内文書)主要トピック・時代考証治世期
第51代国押別神足日身光天津日嗣天皇情報不足。303年
第52代天津紅之枝玉身光天津日嗣天皇情報不足。389年
第53代天開明知国東身光天津日嗣天皇情報不足。296年
第54代高天原輝徹国知身光天津日嗣天皇情報不足。262年
第55代天津玉柏彦身光天津日嗣天皇
ボリビアで同時代の神代文字・御身護文字を発見。
293年
第56代天津成瀬男身光天津日嗣天皇五色人王が日章十六条菊紋を使用。伏義氏、神農氏に薬理・医術を伝授。320年
第57代天津照雄之男身光天津日嗣天皇万国大変動により土の海となる。五色人全滅?B.C.5000年頃、下エジプト文明始まる461年
第58代御中主幸玉身光天津日嗣天皇伏義氏、神農氏が来日し、天津金木を授かり易の元を創る。B.C.4713年、28年の太陽循環期を元にした棒歴を制定。382年
第59代天地明玉主照身光天津日嗣天皇官位十八級を制定。黄帝氏が来朝。即位式大典の御儀改定。B.C.4241年、エジプトで太陽暦B.C.4000年頃、バビロンの神官が金星・火星・木星の運行を確認。487年
第60代天照櫛豊媛身光天津日嗣天皇女帝。235年
第61代豊足日明媛身光天津日嗣天皇女帝。206年
第62代天豊足別彦身光天津日嗣天皇皇祖皇大神宮を一之宮、丹波別伊勢岩屋神社を二之宮、日向高千穂二上神社を三之宮として、それぞれ皇子を神主とする238年
第63代事代国守高彦身光天津日嗣天皇支那へ文字を伝える。殉死が行われる。B.C.3102年、核爆発?(マハーバーラタより)360年
第64代豊日豊足彦身光天津日嗣天皇皇子31名皇女34名を万国派遣。その隊長である万国巡知彦尊の知力大勇が「桃太郎」の原型。280年
第65代勝勝之男身光天津日嗣天皇バビロニアに楔型文字を伝える。ギルガメッシュ伝説の『ウトナピシュチム』編纂282年
第66代豊柏木幸手雄彦身光天津日嗣天皇皇子21名皇女23名を万国言語教官に。世界共通語の喪失が始まる。337年
第67代春健日媛身光天津日嗣天皇
ストーンヘンジ造営(英国ソールズベリ付近)
217年
第68代天津日高日子宗像彦身光天津日嗣天皇殷祖・湯王が飛行機製造に成功したが、悪用を恐れ処分。マウンドビルダー文化(アメリカ)238年
第69代神足豊耡身光天津日継天皇(諸説あり)モーゼが来日。12年間滞在し、 大室姫命を娶る。十戒の石板を授かり、シナイ山へ向かう 。(歴史考証:B.C.1230年頃にモーゼは出エジプト。ラムセス2世の妃像に十六条菊紋あり。天地大変。日本島大変動。タミアライ・ミヨイ国沈没。アアオトロシへ(レバノンのティーレ海底からフェニキアの古代都市発見)428年
第70代神心伝物部建身光天津日嗣天皇釈迦が来日し、天竺国王に任命される。230年
第71代天照国照日子百日臼杵身光天津日嗣天皇天地万国大変動。大地震。五色人全滅?人類大減少。南無極・天祖人・天皇国埋もれていた神生まれ信仰する人、神守救助。即位44年12月22日、太陽が3つ現れる。  ⇒UFO説
第72代彦五瀬身光天津日継天(イツセノミコト)神武天皇の兄。35年
第73代狭野尊身光天津日継天皇(日本磐余彦天皇=後の神武天皇)不合朝最後の天皇であり、神倭朝の初代。 日本の再建 。万国の統理を放棄(第二回岩戸閉め)韓国・支那より漸時万物逆輸入。老子来日。136年


世界史とのシンクロニシティ:聖者の来日とグローバルな知の循環

竹内文書における不合朝の記述で最も衝撃的なのは、世界的な宗教指導者や思想家たちが、不合朝の天皇のもとで教育を受けていたという点です。これは、日本がかつて「世界のスピリチュアルなセンター」であったことを示唆しています 。

その実、不合朝の指導の下で著しい発展を遂げた各国の王たちが力を誇示するようになり、世界が不調和の兆しを見せ始めていた背景もあります。モーゼや仏陀、老子の来朝はもちろん、後の神倭朝におけるイエス・キリストやマホメットの来日も、それぞれの国の現実を憂えたためといえます。

モーゼと十戒の授与(不合朝69代に来日)

不合朝の後期(第69代付近)、モーゼが日本を訪れたとされています。彼は天皇から「十戒」となる石板を授かり、その教えを世界に広めるために旅立ったと記されています 。

  • データの根拠: 皇祖皇太神宮には、かつて「モーセの十戒石」とされる神宝が秘蔵されていたと伝えられており、これが日本人とユダヤ人の共通のルーツ(日ユ同祖論)を補完する重要なピースとなっています 。
  • シナイ山との対比: 竹内文書の観点では、シナイ山での啓示は、日本で受けた教えを再確認、あるいは各地に定着させるための儀式であったと捉えられます。

中国の伏義・神農による36年間の日本留学(不合朝58代に来日)

中国の伝説的な帝王である伏義・神農は不合朝第58代の天御中主幸玉天皇の時代、皇祖皇大神宮の遷宮の祝いに駆け付けたことをきっかけとして、36年間日本に滞在しています。彼らにとって、日本は憧れの地であり、学ぶことが多かったのです。

彼らが日本で学んだのは、宇宙の真理に基づく「神法(神ながらの道)」、高度な統治の仕組み、そして農耕・医薬・占術の源流となる太古の叡智です。日本の進んだ文明と大自然の法則を心身に刻むための、厳しい修練の期間でした。

伏羲とは?

伏羲(ふっき・ふくぎ/表記:伏義とも)と神農(しんのう)は、古代中国の神話や伝承に登場する伝説的な帝王であり、偉大な文化英雄として「三皇」に数えられます。

伏羲は、人々に網を使った狩猟や漁労を教え、自然界の法則を観察して「八卦(はっけ)」を創案し、易学の基礎を築いたとされます。また婚姻制度を定め、社会秩序をもたらしました。

神農とは?

一方の神農は「農耕の祖」および「医薬の祖」として知られます。人々に木製の農具を与えて農業を教え、自ら百草をなめて薬効や毒性を確かめ、漢方薬の基礎を築いたと伝えられています。両者は中国文明の黎明期を象徴する重要な存在です。

伏羲・神農が中国で実践したこと

日本での長年の修行を経て帰国を許された二人は、学んだ神法や太古の叡智を中国の風土に合わせて実践しました。伏羲は日本で学んだ宇宙の法則(天津金木などの太古易)を元に「八卦」として体系化し、人々に文化や秩序をもたらしました。神農は日本で修得した植物の知識や農耕技術を活用し、自国の人々を飢えや病から救うために農業を振興し、漢方・医薬の道を切り開きました。彼らの業績の源流は日本にあったとする構図です。

釈迦が日本で学んだこと(不合朝70代に来日)

釈迦は、不合朝第70代(神心伝物部建天皇の御代)に日本へ渡来しました。世界の中心である日本の皇祖皇太神宮を訪れた釈迦は、天皇に仕えながら神道(神法)の奥義や天地創造の理、人類救済の根本を学びました。過酷な修行を通じて宇宙の真理を悟り、その大宇宙の法則をインドの人々の機根に合わせて説いた教えが、後の仏教の基盤になったと『竹内文書』では語られています。釈迦に関しては青森県梵珠山と長野県川中島に分骨塚、皇祖皇大神宮に御神骨像が現存しています。

道教の祖:老子(不合朝73代に来日)

老子は、中国古代の思想家で、道教の祖です。春秋時代の人で、老聃(ろうたん)と呼ばれ、紀元前6世紀頃に生き、不合朝73代の時期に来日したと伝えられています。

彼の著した『老子』(道徳経)は、わずか五千文字ほどの短い書物ですが、中国思想に大きな影響を与えました。中心となる思想は「道(タオ)」です。宇宙の根本原理である道に従い、自然のままに生きる「無為自然」を説きます。この思想は、まさしく日本に深く根付いている思想です。

柔弱なものが剛強に勝つこと、欲を抑え簡素に生きることなどを教えました。老子の思想は、儒教とは対照的な自然主義・無為の哲学として、後の中国文化や東洋思想に深く根付いています。現在も世界中で読まれ、人生の智慧として親しまれています。

参照元・前提データ

  • 『神代の万国史』(竹内巨麿 編著): 『竹内文書』の根幹となる教義・年表資料。各聖人の来日時期(不合朝における代数)や修行の目的の参照元。
  • 皇祖皇太神宮の由緒・伝承: 富山から茨城へ遷宮された同宮における「万国の聖者が修行に訪れた」とする縁起。
  • 『史記』(司馬遷)、『十八史略』(曾先之): 伏羲および神農の一般的な神話的業績(八卦、医薬、農耕の開祖)の参照元。

万国に文化文明を広めた日本の不合朝は、度重なる天地大変動により衰えを見せ始めていました。加えて、統治下にあったはずの五色人王たちが力をつけ始め、統率に乱れが生じ始めます。それぞれの国において、国家の乱れを憂えた聖人たちが日本に教えを請うために来日したのは当然の流れだったのです。



終焉のプロセス:「万国の変」と人類の離散

不合朝がなぜ現代の我々が知る「未開な石器時代」へと退行していったのか。その最大の要因は、突如として地球を襲った一連の天変地異「万国の変」にあります。

地理的激変とムー・アトランティスの沈没

竹内文書によれば、不合朝の中期以降、世界地図を書き換えるほどの地殻変動が数回発生しました 。

  1. 大陸の分裂: かつて一続きであった大陸が分裂し、五色人の住む地域が物理的に隔離された。
  2. 二大陸の消失: 太平洋上のムー大陸、大西洋上のアトランティス大陸に相当する巨大な陸地が沈没した。これは竹内文書における「ミヨウス(御養主)」たちが統治していた重要な枝国の喪失を意味しました 。
  3. 気候の激変: 温暖であった極地が凍結し、あるいは肥沃な土地が砂漠化するなど、生存環境が激変したことで、五色人は生き残りのために争い、親国(日本)の統治から離脱していきました 。

統治システムの崩壊と叡智の封印

物理的な交流手段(天の浮船)が維持できなくなったことで、天皇の万国巡行は途絶えました。各地の王(ミヨウス)たちは、自らを最高権力者とする新たな文明を築き始め、それが現在の四大文明などの起源となります。

不合朝の最後の天皇(第73代)である「神鵜葺不合尊」は、こうした混乱の中で、せめて日本列島だけでも人類の正統な記憶を保存すべく、拠点を日向から大和(神倭朝)へと移し、新たな国家「日本」を再構築したのです 。この際、超古代の高度な技術は、誤用を防ぐために秘儀として封印され、少数の神職(竹内家など)によって密かに継承されることとなりました。


【まとめ】不合朝七十三代が現代に問うもの

竹内文書における不合朝七十三代の記述は、私たちが義務教育で教わる「人類は石器時代から徐々に進化してきた」という直線的な進歩史観に対する、壮大なカウンターナラティブです。

この王朝が示唆するのは、以下の三つの重要な可能性です。

  1. 人類の普遍的連帯: 五色人という概念は、人種間の優劣を否定し、全人類が一つの根源(日本という親国)から派生した家族であることを強調しています。
  2. 精神と科学の融合: 不合朝の技術(天浮船やヒヒイロカネ)は、単なる物理的な道具ではなく、宇宙の真理や神聖な意志と直結したものでした。現代科学が失った「倫理性」と「霊性」の統合がそこにはありました。
  3. 歴史の周期性: 高度な文明であっても、自然界の理に反し、あるいは調和を欠けば、一瞬にして崩壊するという教訓は、環境危機に直面する現代社会にとって極めて深刻な警告です。

不合朝七十三代の各代の天皇たちが、数百万年の歳月をかけて築き上げた「万国太平」の理想。それは、神武天皇による神倭朝の建国を経て、現代の日本、そして世界の底流に、消えることのない伏流水として今も流れ続けています。偽書論争という表層的な議論を超えた先にある、この壮大な古代の記憶こそが、人類が未来を切り拓くための真の原動力となるでしょう。

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