古史古伝には、『上記』『竹内文献』『富士宮下文書』など複数の系統が存在し、それぞれが独自の王朝史と代数を主張していますが、『九鬼文書』は九鬼家がかつて熊野別当を務めた歴史的背景から、熊野信仰や素戔嗚尊(スサノオノミコト)の神学を深く反映している点に特異性が見られます。
『九鬼文書』において神代史は第四期、万国統治の時代に区分されています。本報告の対象である第四期は、出雲三大天皇の初代アマテラスから始まり、素戔嗚尊の系譜を経て、最後の神皇であるヒコホホデミ尊(山幸彦)に至るまでの七世四十九代の統治期間を指します。この時代は、超古代の祭祀王権が、次代のウガヤフキアエズ王朝、そして最終的に人代の天皇制へと移行する前の、極めて重要な最終段階として位置づけられます。
素戔嗚系譜とアマテラス
九鬼文書においては、第四期の初代天疎日向津姫の即位の際、神々が三度の鴇の声を挙げたと伝えています。
「大御子 天疎日向津姫尊 皇位ニ登リ給ヒ明ルキ御世ト成シ給ヒ……」
「三神代変ワリニ皇位ニ就カセ給フ」
つまり、『記紀』でいうアマテラスこと天疎日向津姫尊が皇位に就いた後は、ツクヨミ・スサノオが交代で皇位に就いたような記述となっています。しかし、詳細ははっきりせず、その順序すら記されていません。順当にいけば、アマテラスの後はツクヨミとなり、そしてスサノオ天皇となります。しかし、ツクヨミ天皇に関する記述は『記紀』を初め、他の古史古伝にも見当たらず『九鬼文書』にも記されていません。
このツクヨミの存在の薄さに対して、出口王仁三郎はスサノオと同一であったとしています。そしてさらに、スサノオが長兄であったことにも言及しています。なぜならこの第四期、つまり万国統治ノ神皇時代の初期は出雲王朝とされていたこと、そして『記紀』において、イザナギが鼻を洗ったときにスサノオが生まれたとされていることが理由です。
出雲王朝の祖神がスサノオであることは今さら言うまでもありませんし、鼻(ハナ)とは、始まり・先端を意味する大和言葉です。つまり、スサノオが最初に生まれ、皇位継承の第一位であったために出雲王朝と呼ばれたとも考えられます。
高天原から追放されるスサノオ
ところが、スサノオはその激しい性格ゆえか、高天原でなく海(海外属領)を治めよ、とイザナギに言われます。納得のいかないスサノオは号泣し、イザナミに確かめると言い出します。このくだりは『記紀』と重なります。この海外派遣によって、スサノオが「白人根中興ノ祖」、あるいは全人類の父祖となるのが九鬼文書の特徴です。
誓約(うけい)は聖婚であり岩戸隠れは出産
『記紀』では、すでに高天原の統治者となっていたアマテラスにスサノオが直談判しに行きますが、これをアマテラスが男装した挙句、総動員で迎え撃つことになります。天安河で対峙した二人は『誓約』によってスサノオが勝ち、高天原で乱暴狼藉の限りを尽くします。これに怒ったアマテラスが天岩戸に隠れて太陽神を失ったすべての世界が暗闇に包まれるというのが、正史といわれる『記紀』に基づいた一般的な認識です。
確かに、九鬼文書においても、スサノオの治世において「騒シキ世」となったと記されています。そのためスサノオの皇后が、イザナミの例に倣い、
「岩殿ニ入リ神憑リ給フ」(天岩戸に入り次代を担う御子の出産に備える)
高天原の他の神々も
「常黒世照治坐大日御子出現給神結誓日」(暗黒の世界を照らす時代の御子が生まれるよう祈った)
この岩戸に籠った皇后の名は記されていませんが、天照坐天皇(アマテラス)であった可能性が高いでしょう。その根拠の一つとして、『天地言文』に、月夜見尊が軍神を指揮して岩戸内での出産を護衛したことが記されています。
オオヒルメ尊の即位と統治の開始
オオヒルメ尊は、紛れもなく天照坐の岩戸隠れによって誕生したスサノオの「皇女」です。なおかつ、オオヒルメとは『日本書紀』において天照大神の古名となっています。すなわち、『記紀』においては、母親の天照坐とオオヒルメをひとりの天照大神として記述していることになります。その背景にあるのが、スサノオ天皇による高天原の治世をなかったことにしようとする陰謀説です。穿った見方かも知れませんが、『記紀』は、ことさらにスサノオの乱暴狼藉とアマテラスとの対立を強調し、意識的にスサノオの系譜である『出雲王朝』を異端化して歴史の表舞台から遠ざけているように見えます。
『九鬼文書』によれば、オオヒルメ尊の生誕に伴い、喜び勇んだ手力男の命が岩戸を引き開けると、そこに照り輝く御子として現れ、ただちに「天照日嗣身光天」として即位したと記されています。
スサノオ―オオクニヌシによる万国統治の出雲王朝
九鬼文書では、第四期の出雲王朝は、世界を十二の地域の自治領として、定期的に「天浮船(天鳥船)」で歴訪して回る万国統治の王朝であったとされています。この十二の自治領の根拠は、第三期・修理固成の時代の一世、天之御中主(アメノミナカヌシ)の即位式典の際、黒人根・白人根命から奉献された宝玉が十二あり、各地域の「国魂」のシンボルとなっていることによります。
王朝(当時の中央政府)の所在地|越根中津国とは?
腰根中津国は「地の高天原」と呼ばれ、湖を控えた高原であり、小アジアにあったと言われています。神々は、腰根中津国の他、天教山麓(富士山麓)や地教山(ヒマラヤ山系)、あるいは地下王国に住む神もいたそうです。
出雲王朝の文化は、現在のような科学と物質至上主義ではなく自然主義的であり、最低限のインフラ整備と医療による精神科学文明であった可能性が極めて高かったと推測されます。なぜなら出雲王朝の祖とされるスサノオは自然崇拝色の強い神であり、農業ですら自然破壊であり、人間を差別してしまうと否定的だったからです。そのため、天照坐・月夜見から皇位を継承したとき、真っ先に行ったのは農業施設の破壊でした。これが『記紀』で言う、高天原での乱暴狼藉に映ったのかも知れません。
大国天皇(大国主尊)による出雲王朝の黄金時代
『記紀』においては、理不尽な国譲りという名目で出雲大社に封じ込められた形になった大国主でしたが、民衆に愛された天皇として『九鬼文書』を始めとする古史古伝はもちろん、封じ込めた張本人である高天原の高千穂王朝でさえ無視できないほどの魅力的な統治者として安定感のある政治を行っていました。まさに、第四期、出雲王朝の黄金時代といえるでしょう。
その片腕となったのが少彦名(スクナヒコナ・薬や商売の神様として大阪市に少彦名神社がある)ですが、出口王仁三郎によれば、このスクナヒコナは創生時代の言霊別命の再来とのことです。
スクナヒコナの旅立ちと大洪水~ノア(野安押別)の方舟
人による文明は、ある一線を越えると地球にとって過負荷となるのかも知れません。あるいは神々にとってさえ疎ましく感じられるのでしょうか?
予見していたのかスクナヒコが黄泉の国へ旅立ち、オオクニ天皇の弟神とされる野安押別命(ノア)は大洪水に備えて方舟(目無堅間の船/銀杏の実の形をした沈まない船)を作ります。そして、乗せられるだけの人類と動物たちを乗せた方舟が、大洪水の後、高千穂の峰で世界の再生に向けて動き出します。
この場合の高千穂の峰は、九州宮崎県の高千穂とは異なり、旧約聖書に示されるアララト山(標高1640m)が基準となる高山地帯すべてを指すと考えられます。したがって、高千穂王朝の拠点は、アララト山麓のアルメニア高原ではないかとの説が有力です。
大洪水の伝承は、古代ユダヤに限らずメソポタミアや中国にもあります。しかし、九鬼文書は「騒ガシキ世トナル」と記すだけに留まり、出雲王朝から高千穂王朝への交替が示唆される程度です。
オオクニヌシの退位とコトシロヌシの自決による政権交代
大洪水の被害責任として退位を余儀なくされたオオクニヌシは、息子のコトシロヌシが自決したことで、自身も幽界に去ります。こうして第四期の万国統治時代の黄金期を飾った出雲王朝が終結。替わって、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)による高千穂王朝が始まりました。
『記紀』には、ニニギノミコトは国津神の二人の娘である木花咲耶姫と石長姫と結婚する際、石長姫を拒否したために命の時間が短くなったと記されています。大洪水の後から、短命になったとされる由縁です。こうした伝承は世界各地にあります。たとえば、古代オリエントにおいて大女神イシュタルは豊穣の生贄として最愛の息子タムムズをチグリス・ユーフラテス河に投じます。翌年に豊穣の約束として復活する神話は、ギリシアのアフロディーテとアドニスなど世界各地の伝承として投影されています。
ノアの末裔(新人類)たちによる新時代の希望
人間世界の賑わいが必ずしも自然と地球に良い結果をもたらすとは限らない~と、大洪水を経験したノアの善良な末裔たちは、世界再建のためには、物質至上主義から精神至上主義へ移行しなければならないと考えました。そのため、敢えて肥沃なメソポタミアの地を離れ、シナイ半島に分布し、さらに羊と蜜蜂を連れ、アラビアへ向かいます。過去の物質社会による文明ときっぱり訣別したのです。しかし、これが裏目に出て、争いを好まない善良な市民たちが、他民族の奴隷となってしまいます。
預言者モーゼの導きと救世主待望論
やがて、預言者と言われるモーゼ(九鬼文書では母宇世と記述)が現れ、エジプトで奴隷となっていたノアの末裔たちを率いて紅海を渡ります。以前の分布地であるシナイ半島に「乳と蜜との流れる郷(蜜蜂と羊の戯れる楽園)」を求めて移動しますが、志半ばで世を去ることとなります。
奴隷として虐げられながらも、ノア(野安押別)やモーゼ(母宇世)を介して一族の中に受け継がれた平和と幸福への思想は、やがてイエスという救世主誕生によって大きなムーヴメントとなります。
月夜見(黒人根国系)の末裔|釈迦によるカースト制度への挑戦
月夜見の子である黒人根国中興ノ祖である奈加登美命から加毘羅飯命、そしてカビラ王国の皇太子である悉達留多(釈迦)が誕生します。釈迦の一族がインドに入ったとき、インドはアーリア人に支配され、厳格なカースト制度が敷かれていました。そのため、カビラ王国の太子たる悉達留多といえどもバラモンの下位にあたるクシャトリアの身分でした。
悉達留多は、カースト制度に苦しむ民に救いの福音を伝えようとしたのです。釈迦の死後、紀元前3世紀のアショーカ王の時代にはインド全土に広がった仏教でしたが、釈迦の属したクシャトリア階級をバラモンより上位に置こうとして失敗。バラモン教に吸収され、もはやインド国内の仏教徒はわずか0.7%に過ぎません。
スサノオ(ツクヨミ)の系譜~イエスと釈迦の遺したもの
釈迦が最も激しく批判したのがバラモン教の二大支柱、すなわち生贄儀式への批判と、「生まれではなく、行いによる人間観」(カースト否定)です。釈迦は、56億7千万年後にミロクが下生し、衆生を救済するとの予言を残しこの世を去ります。釈迦の遺したのは「人間によるむやみな殺生と差別意識に対する報いへの警告」でした。
イエスは「神の王国」を地上に求める悪魔の誘惑の危険性を説きました。これは、大洪水を招いた要因といわれる物質至上主義の文明への批判です。
スサノオ・ツクヨミ同一説と『万教同根』
大本教の出口王仁三郎の説ではスサノオとツクヨミが同一とされ、『竹内文書』など他の古史古伝においても『万教同根』、すべての宗教は根本的な教えが繋がり出処も同じであると言われています。国や表現方法は違えど、世界の平和を願い人々が幸せに過ごせるような教えであることは間違いありません。けれども、世襲や信徒によって宗教がビジネス化し、権力となり、もはや修正不可能な団体へとなってしまったようです。
釈迦とイエスによる庶民を救う試みは、同一人物かと思うほど慈愛に満ち、四面楚歌の世界に真っ向から抗うレジスタンスでした。それはまさしく、農業ですら自然破壊と労使の差別に繋がると説いていたスサノオからオオクニヌシへと受け継がれた繊細で慈愛に満ちた教えです。それぞれが紛れもなく救世主として異なる時代、異なる地に降り立ったのではないでしょうか? 国や地域ごとに伝承方法や神の名は異なるかも知れませんが、かなり説得力があります。
瓊瓊杵尊による高千穂王朝の誕生~ヒコホホデミ天皇(山幸彦)による第四期の幕引き
出雲王朝から高千穂王朝への移譲について、九鬼文書は詳しく触れていません。視点がグローバルであるために、『記紀』による日本神話を妨げない配慮があったとも考えられます。
したがって『記紀』からの推測になりますが、大洪水の引責辞任とアマテラス系の神々の圧力によってオオクニヌシが身を退くと、天忍穂耳天皇の系譜による瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天皇の座に就きます。
以後、瓊瓊杵天皇→彦火火出見天皇(ヒコホホデミ・山幸彦)において第四期が終結。第五期の鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)朝、そして神武天皇(神日本磐余彦天皇・ヒコホホデミ)へ繋がります。
神統譜
以下、収集可能な範囲のデータから第四期の神統譜をまとめました。抜け落ちている部分もあるかと思われます。ご容赦くださり、またご指導いただけますと幸いです。
⇒【九鬼文書⑤】ウガヤフキアエズ朝73代フェニキア人説~古史古伝と記紀との比較
引用文献・サイト

謎の九鬼文書/佐治芳彦


