『記紀』ほどではありませんが、『九鬼文書』においてもウガヤフキアエズ朝に対しては、詳しい記述がありません。ただ、『記紀』においては、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)は山幸彦ことヒコホホデミと豊玉姫の子として生まれ、のちの神武天皇になる彦火火出見尊の父で580歳で永眠したことだけが記されているのに対し、『九鬼文書』ではウガヤフキアエズは一代ではなく、王朝として73代1200年以上続いたとされています。
ウガヤフキアエズとは
日本神話に登場する神で、古事記においては、山幸彦と豊玉姫の子として生まれ、母である豊玉姫の妹、玉依姫との間に四人の子をもうけ、そのうちの一人がのちの神武天皇となる役どころの神様です。
一方で、古史古伝では高度な文明で栄えた朝廷として1200年ほど続いたともいわれています。各書によって記述が異なるため真相はわかりませんが、縄文時代から弥生時代への移行期と重なり、また、ウガヤ朝の後の歴史が強引に現人神の時代になることから、これらの古史古伝を一括りに偽書扱いはできません。
詳細データが異なるのは、それぞれの文書を著した部族が、たとえ元は同一であったとしてもさまざまな事情で離れ離れになり、移動ルートが異なったり、他の部族と交わったりしながら記憶が塗り替えられていったとも考えられます。
あるいは、ウガヤフキアエズ朝から神武天皇時代へ変わるときに大きな自然災害が発生して記録がほぼ消失してしまったか、後々の権力者にとって歴史として遺すと不都合があったのでは?と、勘繰る方も少なくありません。
ウガヤフキアエズ尊の名
- 『日本書紀』:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあわせず の みこと)
- 『古事記』:天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)
- 『先代旧事本紀』:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)
- 『古語拾遺』:彦瀲尊(ひこなぎさ の みこと)
ウガヤフキアエズ出生と命名の秘密(日本書紀引用)
『日本書紀』には、鸕鶿草葺不合尊が産まれたとき、産屋に鸕鶿(う)の羽を草(かや)としてふいたのですが、屋根の頂上部分をふき合わせないうちに生まれ、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられたと記されています。このエピソードから、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうかやふきあわせず)」と名付けたということです
ウガヤフキアエズ朝(ウガヤフキアエズ天皇)正史・古文書比較
他の古文書の『竹内文書』も73代であり、『上記』が72代、『宮下文書』が76代と記されていることからすると看過できないと共に、なぜ日本書紀・古事記だけが一代かぎりで簡素な記述に終わっているのかが不思議です。
| 比較項目 | 古事記日本書紀 | 上記 | 竹内文書 | 宮下文書 | 九鬼文書 | 朝鮮由来説(伽耶説) |
| 代数 | 1代 | 72代 | 73代 | 51代 | 73代 | 複数代の連合政権 |
| 年代期間 | 推定BC1000年頃〜BC300年頃ウガヤフキアエズは560歳で死亡 | BC1000年頃〜AD300年頃 | 数万年以上7000~数万年 | BC2100年頃〜BC頃約2750年 | 1200年~ | 紀元前後〜4世紀頃(弥生時代?) |
| 移動定住 | 日向に定住(東征前) | 大分県に定住(遷都あり) | 地球規模の万国巡回 | 富士山麓に強固な定住 | ノアの洪水後の移動王朝説 海洋・陸路など多ルート | 半島から九州への移動 |
| 拠点 | 宮崎(日向) | 大分県(大分市の南大分あたり、おおきたの宮) | 富山(皇祖皇太神宮)大分県を中心に九州、中国・朝鮮半島まで | 富士山麓(山梨県富士吉田市周辺、高天原) | 天地言文には日向高千穂とあるが不明 熊野・志摩・宇宙説 | 朝鮮半島南部・北九州 |
| 人種ルーツ | 天孫(天津神・地津神) | 日向族 | 五色人ユダヤ(ヘブライ語似)、ノア・モーゼの子孫 | 徐福の子孫(中国由来、ユダヤ関連の説あり) | フェニキア人 ユダヤ人 | 朝鮮渡来人 騎馬民族 |
| 文明的特質 | 農耕文化と海洋文化の融合 | 全国統治、国司(タケル)任命、詳細な歴史記録、高度な航海・農業技術、世界最古の文字使用弥生時代と重なり、縄文から弥生への移行、稲作・文明導入 | 超古代王朝、世界支配、豊国文字使用縄文時代を含む超古代文明、稲作・金属器(ヒヒイロカネ) | 富士王朝(神皇紀)、蓬莱山(富士山)関連の超古代文明、天体・暦の知識縄文晩期から弥生期、稲作導入と関連 | カタカムナ的宇宙観 出雲王朝の正統性 | 鉄器文明騎馬文化 |
| 終焉の理由 | 東征による政権移行 | 王朝記述終了、内乱か? | 天災倭国大乱、記録抹消 | 反乱により滅亡 | 不明 | 加羅諸国の再編・大和統合 |
| 神武への継承 | 直系親族による東征 | 神武天皇が王朝の子孫として東征、大和王朝へ移行 | 神武天皇が最終代の子として東征、大和王朝へ移行 | 神武東征で大和へ移行、五瀬命が皇太子として即位せず薨去 | 不明 | 渡来勢力による国内統一 |
古史古伝においては72~76代|正史では簡素な記述の謎

古事記においては、ヒコホホデミ(山幸彦)の後を継いだウガヤフキアエズは何の逸話も遺さず、五瀬命(イツセ)・稲氷命(イナヒ)・御毛沼(ミケヌ)命・若御毛沼命(後の神武天皇)の父親として、580歳で永眠したとだけ記されています。また、若御毛沼命(神武天皇)以外の兄弟は、海の中で不自然な死を遂げています。
朴炳植『消されたウガヤ王朝』による説
朴炳植氏の説において最も重要なデータの一つは、王朝名である「ウガヤ」そのものの解釈です。彼は、ウガヤ朝の「ウガヤ」とは、朝鮮半島南部に存在した加羅(伽耶)連盟の本家にあたる「上伽耶(ウガヤ / Up-Gaya)」を指すと主張しました。
朴氏は、加羅の王族が海を渡って九州(筑紫)などに上陸し、そこで築いた王朝がウガヤ朝であり、その名称は彼らの出身地である上伽耶(大伽耶)を直接的に示していると考えました。この視点に立てば、記紀における「天孫降臨」は、実際には半島からの「渡来」であり、ウガヤフキアエズノミコトはその渡来した王族の象徴的な名称に他ならないということになります 。
⇒朴炳植『消されたウガヤ王朝』に基づくウガヤフキアエズ王朝(神武以前)~韓国由来説~
九鬼文書におけるウガヤ朝
九鬼文書においてウガヤ王朝は『神代系譜』『御神略』に「七十三代一千二百余年」「七十三代高千穂ニ(に)千二百余年続ク」と記されるのみです。その理由として考えられるのが、海路による渡航で王朝との連絡が途絶えたことです。その後、他ルートから日本に上陸した同民族に、ウガヤ王朝の実情について知らされたと推測できます。
そうして、他ルートからの上陸者たちは宮下文書や竹内文書を記しました。それらにはウガヤ王朝についても相応に詳しい記述があります。
ウガヤ王朝についてもっとも詳しいのは宮下文書です。彼らは陸路からの渡来であったと推測されます。同じく陸路での漂白を重ねたであろうと推測されるのが『契丹古伝』です。竹内文書にも記されてはいますが、異様に長く不完全なこと、ミヨイ・タミアラの水没(ムー大陸・レムリア大陸)など海洋事象の記述が多いことから、こちらも海洋系の移動ルートと思われます。
ウガヤ朝は陸・海のシルクロード経由の移動王朝
『九鬼文書』は、他の古文書に比較するとウガヤ王朝への記述が極めて乏しくなっています。それまでの神代が詳細に語られていただけに、この時代の特定文献や伝承がないことに疑念が湧くのは当然です。何者かによって隠蔽されたか、あるいは記述が困難な状況にあったのでは、と推測されます。その一つが、ノアの洪水等の度重なる災害から逃れるための移動王朝説です。
ウガヤフキアエズ王朝の陸路移動説
宮下文書によると、中央アジアのアラル海に注ぐアムダリア河・シルダリア河流域に位置し、
「高千穂」とは、大陸の山岳高原地帯をはじまりとしていました。その後、砂漠と草原のある地域を経由しながら移動します。
「契丹秘史」(日本や韓国の皇室の出自や系譜)によると、日本は「秋州(あきす)」と記され「アキシマ」と呼ばれています。アキヒメを祖霊とする「アキヒ族」のうちの最大勢力「阿靳族(アキゾク)」は「素率旦阿祺ヒ(ソスナアキヒ)」と呼ばれ、「ソスナ」とは素戔嗚(スサノオ)を指します。すなわち、スサノオ系の出雲王朝の民族がアジア各地から日本へ渡ってきたという仮説を立てることも可能です。
アキヒ族のうち、ワイ族は韓民族、ヤイ族は殷や周、ワニ族も殷を構成していた河南省の一族。これらの諸民族が、中央アジアからシルクロード経由で中国に入り、やがてその一部が間宮海峡・宗谷海峡・津軽海峡、あるいは朝鮮海峡、沿海州から日本海、江南から東シナ海を渡り日本に大挙したとしても不思議なことではありません。
その主たる移動時期は紀元前3〜2世紀であり、縄文の終わりから弥生時代にかけてです。徐福伝説とも重なり、彼らが稲作を持ち込み、彼らこそがウガヤ王朝であったとも考えられます。
参考:『ユダヤと日本 謎の古代史』箱崎総一訳
『謎の九鬼文書』佐治芳彦
海のシルクロードとフェニキア = ウガヤ王朝説
一方の海路は、古代メソポタミアやエジプト、その後継者であるインダスの航海者やフェニキア人によって開かれ、日神崇拝や巨石文化、蛇神信仰、卍などのシンボルは彼らの交易船によってインド半島以東にもたらされました。
特に航海術に長けていたのはフェニキア人であり、航海の指針となる北極星が「フェニキアの星」と呼ばれるほどでした。ソロモン王の栄華を支えたことでも知られ、インドネシアのボルネオにはソロモン王の商館があったそうです。
古代セム語系の通商航海民族であり、紀元前13世紀頃から地中海にカルタゴなどの植民都市を築きましたが、やがてローマ帝国に敗れ散り散りになります。アメリカ大陸を最初に発見したのもコロンブスではなく、フェニキア人であることは『紀元前のアメリカ/バリー・フェル』や岩刻文字の研究からも明らかです。
九鬼一族とフェニキア人
航海術に長け、世界を巡っていたフェニキア人は、世界航路を独占するため記録を残していません。そのフェニキア人が後世に残した遺産がアルファベッド文字(フェニキア文字)です。
22文字の子音からなる表音文字の起源は、紀元前18〜15世紀のシナイ文字と言われ、インドや中央アジアはすべてフェニキア文字を母体とします。
戦国時代に熊野から志摩半島にかけて水軍大名として恐れられていた九鬼一族と、世界を股にかけていたフェニキア人。そして、四国の剣山にはソロモンの秘宝が眠っているとの説もあります。
ウガヤ王朝 = フェニキア人?

スサノオ―オオクニヌシの系統による出雲王朝から大洪水の後、ニニギノミコトの高千穂王朝に代わったものの、計り知れないダメージと出雲王朝に遠く及ばない治世から国力も衰退していたウガヤ王朝は、騎馬系の諸民族の略奪の対象となっていました。そうした難を逃れるため、陸路、あるいは海路による移動を試みたという仮説の信憑性が著しく高まります。
さらに、ある種の神代文字はインド系のフェニキア文字と言われ、ウガヤ朝末期に九州を中心として使われ、やがて、大陸との交易を重ねるにつれて文字は漢字へと変わったとされています。
『天地言文』によるウガヤ王朝終焉の記述
皇紀二万九千百九十八年甲寅十月 五瀬天皇ハ皇日高佐野彦尊ト供ニ舟師ヲ率イ皇都日向ノ高千穂宮ヲ発シ給ヒ摂河ノ国境ニ入リ給フ時二万九千二百二年ノ秋也
天地言文(地乃巻)「神武紀元記録」より
原文によると、五瀬天皇なる人物が、民を率いて日向の高千穂の都を出発し、海を渡って国境に至った時は4年ほどが過ぎていたと記されています。
日向の高千穂の記述に関して、日本の宮崎県や霧島山系という説もありますが、朝鮮半島南部説や遼東半島説も有力です。
⇒【九鬼文書➅】第六期神武天皇時代と聖徳太子による古史古伝焚書事件
【まとめ……の代わりに】謎多き佐野尊の即位
海洋移動の五瀬天皇率いるウガヤ軍団は大阪湾からの上陸を試みましたが、先住民の抵抗に遭い、五瀬天皇が戦死。弟皇の佐野彦尊が指導者となり、熊野から上陸します。原住民やナガスネヒコらを制圧し、橿原にて神武天皇として即位。ウガヤ朝73代であると共に、カムヤマトイワレ朝の初代神武天皇となります。
ここの記述は、記紀と照合させる意図が働いた可能性があります。なぜなら弟が継ぐなら、そのままウガヤ王朝でよいはずだし、記紀におけるウガヤフキアエズの4人の皇子のうち、佐野尊を除く3人が怪死しているからです。
いろいろ調べましたが、2026年2月時点で調べられたのはこれだけです。正史とされる「古事記」「日本書紀」において、日本という孤立した島国の歴史の始まりを記すには、それ以上の記述は必要ないと判断したのかも知れません。そして、ウガヤフキアエズ朝から神武天皇以降の歴史時代に変わるとき、主権者が入れ替わったと想像されます。





